mountsugar

『もしかしたら初めてカフェライブが生まれた夜』

2004年4月、ボクは初めてcafe week 期間中のライブツアーに参加しました。
マウントシュガーの2人との旅です。

まだ20代前半だった2人。

唄をうたうアリサは東京でも飛び抜けた唄の力を持った女の子。
ギターや編曲をする森くんのセンスと相まって、ボクの大好きな2人。

しかし、日本全体に向けて唄わなければならないように錯覚を起こさせる東京の音楽シーンにおいて、2人はドコを見て唄っていいのか迷っていたように思います。

cafe week での唄の旅は、きっと2人に人を感じさせ、目の前の人のために唄われる唄を生み出すであろう、そんな目論みも込めてcafe week に参加させてもらったのです。

そのためにも事前の情報はほとんど与えず「行きゃあ分かるよ!」なんてね、
ちょっと強引なくらいの旅でした。

4泊5日だったかなあ、
アッと言う間のようだったか、永遠の様に長く感じたか、
ともかくギュっと詰まった日々の中で、緊張や焦りなんてことの連続。

それ以上に、唄と人と街と、もちろん誠実に作られた旨いメシの日々。

日々誠実に働き、東京では考えられない安さで当たり前に旨いメシを作る人々。

「あなたはそこにいてもいいのよ」「あなたはそこで唄っていいのよ」
そんな当たり前の声をかけてくれる人々。

「はじめまして!」「いい唄だね」
そんな当たり前の言葉をかけてくれたお客さんの数々。

当たり前の笑顔と当たり前の涙。

そんな日々。

そんな日々にアリサの唄がドンドン開いてゆくのを感じました。

「ああ、来て良かったなあ〜、」なんてね。

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場所は薬院のsones と icone です。

その日もライブが終わり、他のイベントの人たちとiconeで打ち上げ。
そんな際も、もちろんiconeのスタッフは働いています。

もちろんお隣のsonesも。

ボクの中でナニかモヤモヤ。

そうだ、この旅を支えてくれている人たち、
日々のゴハンを作ってくれ、疲れた身体を休ませてくれる場所を守る人たち、
そんなカフェの人たちにちゃんと唄を聴いてもらってないんだ。

1番頑張ってくれてる人たちこそ唄に触れてもらいたい。
そんな当たり前のことが出来ていなくて「カフェライブ」なんて言えないよ!

ボクらは店主に申し出て、sonesでもう一度唄わせてもらうことにしました。

sonesのスタッフ、そして手の空いたiconeのスタッフ、
みんなで5〜6人くらだったかなを集めて深夜の「ありがとう」の唄会。

アリサと森くんはマイクもアンプも使わず、生の声とギターとで演奏を始めました。

ユーミンの「ハローマイフレンド」。

ただ「おつかれさま」と「ありがとう」のためだけに、
唄と人の間に一銭のお金も入り込まない唄。

それはボクが今まで出会って来た唄の中で、
最も人の近くで力強く響いた唄でした。

ハタチそこそこのアリサの渾身です。

いくつかの涙を見ました。

アリサの目にも涙をみました。

その景色がにじんで記憶されているのは、
酒を呑み過ぎたからだったのか、それとも、、

「泣きなさい」「笑いなさい」

ともかく、この夜のこの唄が基準となり、
その後ボクが関わるcafe week の唄会のスタイルを決定づけました。

そしてcafe week の枠を越え、福岡の街も越え、
さらに人に近い場所での唄を求めた旅は続いています。

あの晩のアリサの唄は掛け替えのないものですが、
こんな旅を通して唄われるスベテの唄も掛け替えの無いもので、
それはお金や権利で縛られるようなものではありません。

こんな唄が広がってゆくコトをして「メジャー」と呼ぶ。
そんな夢を見始めた頃の想い出です。

PEACE!